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さあ2006年も後わずか

さあ2006年も残すとことあとわずかです。
みなさんとても忙しい時間を過ごしていると思いますが、ゆっくりと今年の出来事を思い返してみるのもいいのではないでしょうか。
今年はトリノ五輪での荒川選手の金メダルにWBC。世紀の誤審で火がつき日本中が応援し初代世界一に輝いた。ワールドカップでは惜しくも予選敗退したものの大健闘だった。夏の甲子園では早稲田実業と駒大苫小牧の激闘。一日目は延長15回引き分け再試合。次の日も最後までどちらが勝つか分からない熱戦を繰り広げ、早稲田実業が初優勝を飾った。最後の打者は田中。なげるは斎藤。まさに運命なのだろうか、最後の決着の瞬間までこの二人はたたかった。早稲田実業が優勝を決めたときの田中、斎藤両選手並びに両校の選手の表情は今も忘れられない。全力を尽くしたからこそ出る表情だった。
小泉から安倍へのバトンタッチ。北朝鮮の核ミサイル発射。郵政造反組の復党。いじめによる自殺が相次ぎ、今年の漢字は「命」になった。

一時期テレビのニュースは毎日殺人事件の報道があった気がする。それくらいに今年は殺人が多かった。
親が子を殺し、またその反対も起こる。

「命」の尊さを改めて実感した年だったと思う。

2006年12月29日(金)
隈卦本

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悲しむべき

長崎の原爆投下日の正答率低下を受けて。

長崎の高校生に教えてやろう

広島原爆は8月日!!!!!

長崎原爆は8月日だよ!!!

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今日は何の日コーナー!!

1941年(昭和16年)12月8日

「真珠湾攻撃」の日です。

詳しくは、山本五十六のコーナーを見て頂きたい。

開戦65周年に際して、今日は「太平洋戦争」(前夜)について書いていきます。

「太平洋戦争」

日本側呼称(当時):大東亞戦争

日本側呼称(現在):太平洋戦争または、アジア太平洋戦争

英名:the Pacific War

経緯:世界恐慌から立ち直れない世界(日本は比較的回復は早かった)。満州事変を起こし、国連を脱退した日本は、生きる道を中国大陸に見いだし積極的に進出した。満州等を狙っていた米とも対立し、さらに上海等で英とも対立を深めていった。これにより次第に日本国内、(陸)軍部内では反米英、親独の風潮が高まった(1936年に日独防共協定、1937年日独伊三国軍事同盟の締結により、米英との対立は決定的に。)対中国の戦争(当時は米からの輸入を受けるため、戦争とは言わず、事変といった。日華事変、又は支那事変と当時は呼称した。)は泥沼化し、緒戦の戦果は挙げられなくなっていた。中国は南京陥落を受け、奥地の重慶に移し徹底抗戦の構えした。当時米英は中国に物資等の支援をしていたので、日本はその支援ルート(蒋援ルート)を絶つため南進を開始する。一方ヨーロッパではドイツがフランスを降伏させたため、インドシナ(ベトナム)に軍を進駐させることが出来た。又、ノモンハン事件以来北の脅威となっていたソ連と、中立条約を結び、その心配はなくなり、日米開戦に踏み切ることとなる。

開戦:1941年11月27日に米側からハル・ノートが渡された。内容は以下の通り。

1、日独伊三国軍事同盟の破棄

2、仏印、中国大陸からの撤兵

等であった。日本にとって見れば不利きわまりない物で、明治以後外国進出し獲得した権益のほぼ全てを破棄するのとおなじで、勿論日本側はけり、交渉は決裂。

1941年(昭和16年)12月8日

運命の日は訪れた。

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