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南方の死闘~ニューギニア島~

ニューギニアでの戦いは凄惨を極め、約20万の日本軍のうち生きて再び故郷の土を踏んだのは約2万だったという。日本の大本営はニューギニアに4000m~5000m級の山々が在るとは知らずに無謀な行軍命令を出して多くの死者を出した。

日本軍のそういう甘さを露出させた戦いであった。

その中でも無謀な転進作戦をここで紹介したいと思う

『サラワケット越え』                                            

【転進前夜】

サラワケット山とは現地の言葉で「聖なる山」と言う意味で、なんと標高は4100mで赤道直下にもかかわらず、頂上では氷点下になる。

ラエで包囲されていた第51師団。師団長の中野英光 中将は部隊に玉砕を覚悟するように指示した。

そして玉砕戦の準備を行っていたところに玉砕を許さないとの司令部からの通達があった。

「キアリに転進せよ」

キアリとはラエから120km離れた町。

サラワケットを迂回して行くこともできたのでは?

それでは敵軍に襲われる危険性があると判断された。その上、日本軍の中で過去にサラワケット越えの偉業を成し遂げた者がいた。その人物が、兵隊の登れない道ではないと報告していたことが、おそらく司令部にサラワケット越えを決意させたひとつの要因だと考えられる。

(※)サラワケット越えを成し遂げた部隊は北本正路中尉ら50人の部隊。現地民の協力や、協力者に登山用具一式をもらったこと、北本中尉はオリンピック出場経験もある陸上選手ですばらしい健脚の持ち主だった・・・等々のことがあってはじめてなしえたことであり、とても重装備の、それも登山用具をろくに持たない兵士たちが登れる場所ではないと考えられる。

16日で越える予定、そして10日分の食糧。

そして地獄が始まる。

第51師団3,900名、他部隊2,100名、海軍2,500名、総勢8,500名。

【転進の様相】

9・12、第一陣が作戦開始。しかし15日、豪軍と遭遇し急遽、密林を伐採しながら進むことに。

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